歴史的転換点がリアリティをもった現実の場面として感じられなくなってしまったのは、我々自身が映画やテレビドラマで似かよった
「創作された場面」 を日常的に観続けたためなのかもしれない。 あまりにさまざまな場面をあまりに多く観たがゆえに、その場面を現実のものなのか、それとも創作された架空の場面なのか、にわかに判別できなくなってしまったのである。
現実の出来事から現実感を感じなくなってしまったのはそのためであろう。 今後、情報化時代が進展すればするほど創作される架空の場面の数は幾何級数的に増加していくであろう。
かくして現実の場面は膨大な架空の場面の中に紛れ込んでしまい見つけ出すことはさらに困難になることが予測される。 結果。 現実感の喪失は日を追うごとに拡大していくであろう。
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