Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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直観と方法〜場面集と回路群
 「時空を操る者」 とは 「己自身の精神を操る者」 のことである。 だがこれが単に認識としての 「己自身の知識を操る者」 であっては 「絵に描いた餅」 であって効力は発現しない。 それは陽明学の祖、王陽明が唱えた 「現実の行動をともなわない知識は無力である」 とする 「知行合一」 の教義に一致する。 効力を発現させるためには知識から行動への 「起動」 が必要となる。 そしてまたその 「起動方法」 は簡潔でより具体的でなくてはならない。 日常的に知識を働かせている者は、とかくその起動方法が複雑でより抽象的になりやすいからである。
 だが事は単純であって、潜在意識として稼働している知の回路を遮断するだけで事足りる。 なまじ知の回路が稼働しているがゆえに、行の回路への起動に迷いが生じてしまうのである。 私は潜在的に稼働している知の回路の遮断には最澄や道元がその方法として取り入れた 「止観」 が有効であろうと考えている。
 編集工学研究所の所長、松岡正剛は 「直観と方法の糾合(融合)」 の中で、次のように語っている。 直観が 「場面集」 であるとするなら、方法は 「回路群」 である。 方法は入手されたいくつかの直観(場面集)に道理をふまえたネットワークをかぶせるためにつかわれる。 研ぎ澄まされた直観(場面集)であっても確かな方法(回路群)で制御されなければ、その制御系(回路群)は発振(共振)してダウンしてしまう。 融合を安全に実現するためには、走り出した直観(場面集)を停止したり再起動したりする機能がその方法(回路群)に内蔵されていなければならない。 間断なく切りかわる場面の切り換え能力をあえていったん休止させる制御回路の付加である。
 私はその制御回路こそが 「止観の働き」 であろうと考えている。 ちなみに仏教における止観とは 「一切の妄念を止め、正しい知恵で対象を観察すること」 と説明されている。

2022.07.19


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