イギリスの偉大なる科学者、ニュートン(1642〜1727年)がかの有名な 「プリンキピア(自然哲学の数学的原理)」
を著して以降、世界は一瞬にして 「科学的合理主義万能の価値観」 に没頭、その後300年間の邁進を経て、現在我々が目にする科学文明社会を現出させるに至った。
だが 「科学的合理主義」 は決して万能なのではなく、自ずとした限界がある。 人類は今、科学をもって、すべてが計算可能であり、そのすべてを自己意志によって自由に制御できるかのごとく考えるにあるが、それは妄想である。
科学的合理主義万能の喧噪が出発した当時、すでにその科学的合理主義の行き着く先に、大きな危惧を抱き、一人警鐘を鳴らして立ち向かった人物がいたことを記しておきたい。
その人物とはドイツの文豪、ゲーテ(1749〜1832年)である。 彼はまた、いかなる警鐘をもってしても、技術と科学の結合による世界の進歩的な改造が、阻止し難いことも同時に知っていた。
彼はそのことを、彼の最後の小説 「遍歴時代」 の中で、憂慮とともに次のように語っている。
「増大する機械文明が私を悩ませ、不安にします。 それは雷雨のように、おもむろに近づいて来ます。 でも、それはすでに方向を定めました。
やがて到来して襲いかかることでありましょう」
また友人への手紙の中では
「富と速さは、世界が称賛し、誰しもが目指しているものです。 鉄道、急行郵便馬車、蒸気船、そして交通のありとあらゆる軽妙な手段は、開花した世界が能力以上の力を出し、不必要なまでに自己を啓発し、そのためかえって凡庸さに陥るために求めているものであります。
そもそも現在は、すぐれた頭脳、理解の早い実用的な人間のための世紀であり、彼らは、たとえみずからは最高度の天分を有さずとも、ある程度の器用さを身につけているだけで衆に抜きんでるものと思っているのです」
その後、ゲーテの思想を研究したオーストリア生まれ(1911年)の文芸評論家、エーリヒ・ヘラーは、科学的合理主義の行き着く先を
「技術的進歩とは、地獄をもっと快適な居住空間にしようとする絶望的な試み以外のほとんど何物でもありません」 と簡潔、かつ直裁に語っている。
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