この作品で流行作家となった笹沢左保はその晩年において、紋次郎の出生地 「三日月村」 に似た
「三日月町」 が実在する佐賀県に移り住み、その地で執筆活動を続けた。 ちなみに筆名の 「左保」 は夫人の名前からとったものである。
笹沢左保は天涯孤独で生涯旅することを運命づけられた紋次郎の姿に自らの文学のテーマである 「人間の孤独と宿命」 を託して来た。
「人間は宿命によって生かされている」 という人生観を持つきっかけは22歳の時、山梨県山中での人妻との自殺未遂であったという。あらがいようのない大きな力に翻弄される人間の哀しみや孤独を描くという
「自らの原点」 は終世に渡って変わることはなかった。
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