Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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実と虚の狭間〜虚空間と虚時間
 ベストエッセイセレクション 「真理のかたち」 では、「無からの有の発生」 におけるイギリスの物理学者ポール・ディラック(1902年〜1984年)とイタリアの物理学者エットーレ・マヨラナ(1906年〜1938年)による2つの説について書いている。 詳細は本稿をお読み願うとして、以下の記載は現時点の考察を加えて整理した要点の抜粋である。
ディラックの説
 ディラックは真空は虚のエネルギで沸きたっていること、その真空から同じ質量で電荷が反対の物質としての電子と反物質である陽電子が発生すること、また陽電子と電子が衝突すると光を発して対消滅すること等の 「虚空間の胎動」 を明らかにした。
マヨラナの説
 マヨラナはディラックのエネルギの胎動と時間を統合して記述した。 1937年に発表された 「中性粒子(マヨラナ粒子)の理論」 では粒子(ディラックが言うところの物質=電子)と反粒子(ディラックが言うところの反物質=陽電子)は同じものであって、単に未来に向かう実時間で記述するのか、あるいは過去に向かう虚時間で記述するのかの違いであるとする 「虚時間の胎動」 を明らかにした。
 ディラックは時間に無関心ではあるが、もともと眺めている空間はハイゼンベルクの不確定性原理で述べるエネルギ保存則が一時的に停止する非常に短い時間(限りなく 0 に近い時間)の世界である。 この空間でこそ量子力学的なゆらぎのおかげで、無から無償でエネルギを借りられるかもしれないのである。 ゆえにディラックは真空は活動で沸き立っているとする虚空間の胎動を予見したのである。 他方、マヨラナが眺めている虚空間は、未来に向かう実時間と過去に向かう虚時間の狭間であり、これまた非常に短い時間(限りなく 0 に近い時間)の量子力学的なゆらぎの世界である。
 私の 「Pairpole 宇宙モデル」 では、時間軸に添って構成されている宇宙を 「連続宇宙」 と呼び、時間軸と垂直に構成されている宇宙を 「刹那宇宙」 と呼んだ。 連続宇宙は言うなれば 「空間を時間で積分した宇宙」 であり、刹那宇宙は 「空間を時間で微分した宇宙」 である。 私はその 「刹那宇宙の胎動」 を以下のように表現した。
 刹那宇宙では、無から有への発生と、有から無への消滅が、間断なく繰り返され、有と無が混合したエマルジョンとなり、あらゆる可能性が 「ゆらぎの状態」 にある。 刹那宇宙では、生と死が混在し、創造と破壊が混在する。 あらゆる生命は刹那に生まれて刹那に死に、あらゆる存在は刹那に創造されて刹那に破壊される。
 ディラックとマヨラナが注目した世界とは、言うなれば時間軸と垂直に構成され時間が限りなく 0 に近い 「刹那宇宙」 である。 ディラックも、マヨラナも、おそらく私もまた、眺めていた世界は同じであったのである。 その世界を、ディラックは 「虚のエネルギで満たされたゆらぎの空間」 と認識し、マヨラナは 「実時間と虚時間の挾間に生じたゆらぎの空間」 と認識し、私は 「有と無が混合したあらゆる可能性に明滅するゆらぎの空間」 と認識したにすぎない。
 物理法則は時間の矢を逆にしても等価的に成立する。 分かり易く言えば、とある物体運動を撮影したビデオ映像を逆回しに再生しても、その物体運動を記述する運動方程式はまったく同様に成立するのである。 あえて誤りを怖れずディラックとマヨラナの違いを一気に還元すれば、無からの有の発生を考えるバックグラウンドとして 「虚のエネルギで満たされた真空を想定したディラック」 と 「過去に向かう虚の時間を想定したマヨラナ」 という対比構図に帰着する。 私のような工学的メカニズムの技術者からすれば 「虚の時間」 を構想したマヨラナの予見は目から鱗が落ちるような感嘆を覚える。 我々は未来に向かう実時間の世界に生きているから物体が瞬時に消滅してしまうなど想像だにできないが、もし過去に向かう虚時間の世界を同時に眺めることができたならば実時間の世界で発生した物体が虚時間の世界では次々に消滅していくことを目撃するにちがいないのである。

2022.03.26


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