身の安全と安泰。 それは生きていくための基本的条件である。 それがなければ生きていけない。
だがその安全と安泰を得るために 「何のために生きるのか?」 という 「生きる意味」 を捨て去ってもいいわけはない。 生きる意味は、生きるために
「必要ない」 というのが現代人の通常の価値観であろうし、そもそも、すべての意味を、生きるに必要か必要でないかで考えるところに、現代人の特質が顕れている。
この価値観に従えば、生きるに必要ないものは、すべて価値がないものとなる。 現代人が言う 「生きる」 とは、物質的に生存することを意味しているが、その物質的な人間が、生存するために最も重要視しているのが
「衣食住」 という物質的な機能である。 ゆえに、現代人は衣食住に最大の関心をはらっている。 他方、生きる意味は、それが無かったとしても生存が失われることはなく、逆にそれが有ったとしても、生存が保証されるものでもない。
ゆえに、現代人は生きる意味には多くの関心をはらわず、ときとして、いと易く捨て去る。
生きる意味を捨て去る生き方とは、言うなれば、弱肉強食を信条とする獣のような生き方とそう大差はない。 哲学者、ニーチェが予言した
「末人」 とは、あるいは 「獣人」 なのであろうか? もし獣人であるとすれば、今後の世界は、生存を賭けた、信義も仁義もない戦いとなるであろう。
そこでは卑劣極まりない、あらゆる卑怯な戦法さえも用いられることになる。
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