Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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花のように鳥のように〜シンプルな宇宙
 コロナ過の先にある未来とは 「いかなる世界」 なのか? いまだ魅力ある世界の提示はなされていない。 だがこのような発想で明日を考えること自体が 「未来への閉塞」 を生む元凶なのではあるまいか?
 未来は 「予定されること」 が今までの常道であった。 だが 「未来は予定されないこと」 が常道なのかもしれない。 この世が線形時間を廃した過去も未来もない現在だけの 「シンプルな宇宙」 だとすれば、それは当然至極に納得のいく帰結である。 実在が保証されない過去や未来に基づいた 「未来の予定」 などもともと意味を成していない。 意味を成さない未来を予定することは大いなる論理矛盾であろう。
 人間以外の動物に過去や未来の認識があるかどうかは不明であるが、わたしが見る限りにおいてはなさそうである。 過去や未来の認識がなければ未来に対する期待も失望も生じることはあるまい。 彼らはまさに現在だけの 「シンプルな宇宙」 に生きているに違いない。 もし人間が犬や猫のように 「現在だけの世界」 に生ることができるとすれば、人間が背負っている悩みの大半は消失するに違いない。
 以下の曲 「花のように鳥のように」 はそのような世界を描いている。
花のように鳥のように / 作詞 阿久悠 作曲 杉本真人

そこにあるから 追いかけて
行けば はかない 逃げ水の
それが しあわせ あるよでなくて
だけど 夢見る 願かける
花のように 鳥のように
世の中に 生まれたら いちずに
あるがままの生き方が しあわせに近い

指の間を さらさらと
いつの間にやら こぼれ落ち
拾い集めた 欠片を見つめ
恋の終わりを 知らされる
花のように 鳥のように
晴れの日も 風の日も 人生
そんなふうに思えたら しあわせに近い

誰が わたしを 捨てるでしょう
いつも こんなに 一筋に
こころ捧げて なさけをかけて
愛をいっぱい あげたのに
花のように 鳥のように
限りある一生を 信じて
生きることが 何よりも しあわせに近い

ラララ ・・・ ラララ ・・・ ラララララ ・・・
あるがままの生き方が しあわせに近い
 コロナ過の先にある世界が 「今あるこの刻」 を花のように鳥のように 「あるがままに生きられるような世界」 であってほしいと願わずにはいられない。

2021.12.14


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