Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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セーラー服と機関銃〜夢の途中
 2つのタイトルをもった 「異名同曲」 と呼ばれる曲がままある。 薬師丸ひろ子が歌う 「セーラー服と機関銃」 と来生たかおが歌う 「夢の途中」 はそのひとつである。 事の経緯を調べると以下のようである。
 映画 「セーラー服と機関銃」 の主題歌はもともとキティ・レコードに属する作曲者の来生たかおが歌う 「夢の途中」 に決まっていてレコーディングまで行われていた。 当時、デビュー5年目の来生は作曲家としては認知されつつあったが歌手としてはいまだ無名、やっと 「Goodbye Day」 がドラマ主題歌となり注目を集め始めていた頃だった。 しかし、監督の相米慎二が 「薬師丸ひろ子に歌わせる」 と、キティ・フィルム代表、キティ・レコード社長の多賀英典に言いだし、来生は楽曲のみ残して歌手としては下ろされることになった。 この件で、たかおの姉でもある作詞者の来生えつこが激怒、あわやキティ・レコードからCBSソニーへ移籍寸前までいったが、それを引き止めるため、多賀が 「両方ともヒットさせる」 と宣言し説得した。 また1981年10月に行われた映画の試写会まで、薬師丸の所属事務所(角川春樹事務所)の社長角川春樹は、薬師丸が映画主題歌を歌っていることを知らなかった。 試写会後に唯一つけた注文が曲のタイトルを 「夢の途中」 から 「セーラー服と機関銃」 に変更することだった。 結局。 来生の 「夢の途中」 と薬師丸の 「セーラー服と機関銃」 は、ほぼ同時期にリリースされ、最終的にともにロングヒットとなった。
 ただ薬師丸ひろ子が歌う 「セーラー服と機関銃」 と来生たかおが歌う 「夢の途中」 では歌詞が微妙に違っている。 セーラー服と機関銃では 「夢のいた場所に未練残しても、心寒いだけさ」 が、夢の途中では 「現在(いま)を嘆いても、胸を痛めても、ほんの夢の途中」 となっている。 (以下記載の両歌詞の赤字部分
セーラー服と機関銃 / 薬師丸ひろ子

さよならは別れの 言葉じゃなくて
再び逢うまでの 遠い約束
夢のいた場所に 未練残しても
心寒いだけさ

このまま何時間でも
抱いていたいけど
ただこのまま冷たい頬を
あたためたいけど

都会は秒刻みの あわただしさ
恋もコンクリートの 籠の中
君がめぐり逢う愛に疲れたら
きっともどっておいで
愛した男たちを 想い出に替えて
いつの日にか僕のことを
想い出すがいい
ただ心の片隅にでも
小さくメモして

スーツケースいっぱいに
つめこんだ
希望という名の 重い荷物を
君は軽々ときっと持ちあげて
笑顔を見せるだろう
愛した男たちを
かがやきに替えて
いつの日にか僕のことを
想い出すがいい
ただ心の片隅にでも
小さくメモして

夢の途中 / 来生たかお

さよならは別れの 言葉じゃなくて
再び逢うまでの 遠い約束
現在(いま)を嘆いても 胸を痛めても
ほんの夢の途中

このまま何時間でも
抱いていたいけど
ただこのまま冷たい頬を
あたためたいけど

都会は秒刻みの あわただしさ
恋もコンクリートの 籠の中
君がめぐり逢う愛に疲れたら
きっともどっておいで
愛した男たちを 想い出に替えて
いつの日にか僕のことを
想い出すがいい
ただ心の片隅にでも
小さくメモして

スーツケースいっぱいに
つめこんだ
希望という名の 重い荷物を
君は軽々ときっと持ちあげて
笑顔を見せるだろう
愛した男たちを
かがやきに替えて
いつの日にか僕のことを
想い出すがいい
ただ心の片隅にでも
小さくメモして

 薬師丸ひろ子が 「セーラー服と機関銃」 で鮮烈なデビューを飾ったのは1981年11月21日、彼女は17歳の少女であった。 一方、来生は31歳の男盛りである。 17歳の薬師丸ひろ子からすれば与えられた主演映画の主題歌を歌うことで精一杯、詞の内容まで深く考えられる状況ではなかったであろう。 他方、31歳の来生にとってみれば熟年のラブロマンスが歌える年代である。 結局。 薬師丸ひろ子は詞の世界にこだわることなく少女としての 「セーラー服と機関銃」 を歌い、来生は詞の世界に忠実に大人としての 「夢の途中」を歌ったのである。 ただ詞の内容からすれば、いまだあどけない薬師丸ひろ子がこれから体験するであろう 「輝ける時代」 に捧げた来生からの 「純情歌」 のようにも思える。 それはまだ 「夢の途中」 なのだ ・・ という。
 そのごの経過は周知のごとくである。 薬師丸ひろ子は歳を重ねて現在 57歳、来生は71歳である。 「セーラー服と機関銃〜夢の途中」 の物語は奇蹟のようにして今尚続いている。

2021.12.13


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