世界はこう考えればこう見え、そう考えればそう見えます。 見える世界とは考える世界なのであって、考え方を変えれば見える世界も変わります。
面白くない考えからは面白くない世界が、面白い考えからは面白い世界が見えます。 どうせなら面白い世界を見たいものです。
「人間は考える葦である」 とはフランスの思想家パスカルの言葉ですが、まさにこの世界を生きるにおいて、人は考えることにその大半を費やし、それによりこの世界の大半を生み出しているのです。
また 「我思う、ゆえに我あり」 とは同じフランスの哲学者デカルトの言葉です。 考えること思うことの意味を遙かな時空を超えて今に伝えています。
また近代理論物理学を牽引した デビット・ボーム は宇宙の暗在系と明在系の構図の中で、この世に実在化している万物事象(明在系)は全体宇宙である可能性の海(暗在系)から人間の意識操作によって投影されたものであると述べています。
その意識操作こそ 「考えること思うこと」 に他なりません。 その可能性の海(宇宙の内蔵秩序)の構図はまた心理学者 ユング の言う私たちの潜在意識が共有する
「集団的無意識」 の構図に酷似しています。 可能性の海とはあらゆる可能性を秘め無限のエネルギに満ちている意識の大海なのです。
「打ち出の木槌」 などというものはこの世には無いと思ってきましたが、「可能性の海」 はまさにあらゆるものを生み出す打ち出の木槌のようです。
その打ち出の木槌を振るのはあなた自身の意識であって、この世の万物事象の命運は 「あなたがどう考えどう思うか」 にかかっているといっても言い過ぎることはないでしょう。
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