子供の頃の私は 「夢見る人」 であった。 片田舎の山村でことあれば夢を描いて空想していた。
ひとりでいることが少しも退屈ではなかった。 今思い返すと何とも不思議な子供であった。 その気質は今も変わりがない。 ただその夢のスケールの桁数が少々大きくなったぐらいである。
夢も極限まで大きくなると夢ではなくなる。 それは虚無である。 夢の世界が膨大となり問うべき問いが尽き果てれば夢はもうその先には往かない。
広がるのは無味乾燥の 「虚無の大地」 である。 時空の旅も描く夢があってのものであって夢が尽きればその旅もまた終焉する。 「 君よ永遠の嘘をついてくれ」
は尽き果てた夢の先にあった 「夢の置きどころ」 について唄っている。
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