未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
経験的科学性〜出来事の意味するもの
因果応報は仏教の理である。 この世で生起する万物事象の出来事は何らかの原因によって結果として現れるという理である。 この理は現代人が信奉する科学的合理主義と合致するため仏教の信者ならずも多くの人々に信じられている。
しかしながら、いくつかの出来事には原因がなく結果のみで現れるものがある。 結果に結びつく原因(理由)が見つからない現象である。 それらの現象には現代人が絶大な信頼をよせる科学的合理性が見いだせないのである。 現代ではそのような根拠不明な現象のほうが根拠明かな現象よりも多いのかもしれない。 かくなる現象は科学的合理主義が進歩発展すればするほど多発するように思われる。
そのような因果不明な現象に対して多くの現代人は 「非条理な出来事」 という標号をもって事態を収束させる。 非条理とは発生した出来事に条理(論理的整合性)がないとする意である。 人は非条理という標号をもってそこから先の思考を停止させてしまうのである。
私がこれまでの人生で体得した 「経験的科学性」 では 「宇宙に生起する出来事に意味のないものはひとつとしてなく、すべてはある必要性(目的)をもって生まれてくる」 ものであるとする。
結果に結びつく原因が見つからないとしても、それは 「当面見つからない」 ということであって、その後の時間経過の中で見つかってくるものである。 その経緯は 「
逆因果律考
」 に詳しい。 多くの失敗もあとで振り返ってみれば、その失敗が 「成功の原因」 となっていることが了解されるものである。 「非条理」 とは、その原因が見つかるまでの間のニュートラルな状態を表した標号ということである。 本当に 「意味あるもの」 とは、その 「非条理な出来事」 の中にこそ存在するのである。
2021.08.21
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