民俗学者の柳田國男が三陸海岸北部に位置する陸中八木を訪問し 「清光館」 に宿泊したのは大正9(1920)年8月のことであった。
「清光館哀史」 はその6年後に再訪した際に書かれた随想で、昭和40〜59年まで現代国語の教科書(筑摩書房)に採録された。 私が高校の授業でその随想を読んだのは2年生であったか3年生であったか記憶は模糊として鮮明でない。
先生はその文章について何事かを話しておられたが、私の思いは描かれていた清光館の世界に没入していて頭には入ってこなかった。 なぜそう思ったか確としないが私はその刻にある決心をした。
いつかきっとこの 「清光館哀史」 の舞台となった陸中八木を訪れることを ・・。 約束が果たされたのはそれから3年ほどした大学生となった夏休みのことであった。
それは野宿覚悟で出発した東北ひとり旅でのことであった。 おそらく昭和44年の夏のことであったと思われる。 柳田國男がその地を訪れてからすでにして50年余の歳月が経過していた。
先日、何処からともなくその旅のことが脳裏に甦ってきた。 今となれば古い話ではあるのだが、その旅の記憶をここで再生してみようと思う。
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