未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
ゲーテの警鐘またしかり
哲学者ニーチェに遡る科学文明がスタートした250年前にして、現代人が行き着くであろう 「存在の儚さ」 に警鐘を鳴らした人物がいたことも忘れてはならない。 ドイツの文豪、ゲーテ(1749〜1832年)である。 その経緯は 「
科学的合理主義の終着点
」 で描いている。 要点を抽出すれば以下のようである。
技術と科学の結合による世界の進歩的な改造が阻止し難いことを知っていたゲーテは彼の最後の小説 「遍歴時代」 の中で憂慮とともに次のように語っている。
「増大する機械文明が私を悩ませ 不安にします それは雷雨のように おもむろに近づいて来ます でも それはすでに方向を定めました やがて到来して襲いかかることでありましょう」
また友人への手紙の中では次のように書いている。
「富と速さは世界が称賛し 誰しもが目指しているものです 鉄道 急行郵便馬車 蒸気船 そして交通のありとあらゆる軽妙な手段は 開花した世界が能力以上の力を出し 不必要なまでに自己を啓発し そのためかえって凡庸さに陥るために求めているものであります そもそも現在は すぐれた頭脳 理解の早い実用的な人間のための世紀であり 彼らは たとえみずからは最高度の天分を有さずとも ある程度の器用さを身につけているだけで衆に抜きんでるものと思っているのです」
その後、ゲーテの思想を研究したオーストリア生まれの文芸評論家、エーリヒ・ヘラーは、科学的合理主義の行き着く先を 「技術的進歩とは 地獄をもっと快適な居住空間にしようとする 絶望的な試み以外の ほとんど何物でもありません」 と簡潔、かつ直裁に語っている。
ゲーテの警鐘はニーチェの末人を経て多くの現代人の人間像に凝縮したのである。 人類は科学的合理主義を土台にした近代文明を構築することで、多くの物質的豊饒や機能的利便性を手にすることができた。 だがその反面で、人間としての幸福感や尊厳の多くを失ってしまったのである。 現代人が感じる 「存在の儚さ」 とはその結果である。 コロナ禍に喘ぐ現代社会ではあるが、次なる社会に向けて 「人としての実存性」 が問われていることは、いついかなる時も忘れてはならない。
2021.06.28
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