それでは、征服され、頭を押さえられ、運命を呪いながら諦めに沈み、日々の苦役に従事した人間たちは幸福を感じることはなかったのか。
いや、そうではない。 奴隷には 「奴隷の幸福」 があった。 ただし、この 「無力な者、抑圧された者、毒心と敵意とに疼いている者」
の幸福は 「主人の幸福」 とはまったく質の異なるものであった。 奴隷にとって、「幸福は本質的に麻酔・昏迷・安静・平和・安息日・気伸ばし・大の字になることとして、手短にいえば、受動的なものとして現れる」。
能動的な高い緊張ではなく、受動的な低い弛緩こそが 「奴隷の幸福」 の本質である。 あるがままの自分の姿に直面した奴隷はため息をつく。
「ああ、俺が他の誰かであったらなあ! でも今は何の希望もない。 俺はやっぱり俺である。 どうすれば俺は俺自身から抜けられるのか。
それにしても俺は俺に飽きがきた」。 そこで何とか自分から目をそらし、気を紛らわそうとする。 寝そべってうとうとすること、眠ること。
酒や麻薬に酩酊すること。 博打や娯楽に我を忘れること。 束の間の休息を満たし、自分を忘れさせてくれるあらゆる安楽を求める。
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