Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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細部と全体(5)〜宇宙とは仕組み
 私は自ら構築した 「ペアポール宇宙モデル」 の末尾に以下の帰結を配した。
 環状連鎖ウェーブコイルは群を成し宇宙空間に散在している。 この風景はまた池の水を顕微鏡で覗いた時に見える風景でもある。 大宇宙と小宇宙の区別はどこにもな く、細部は全体であり、全体は細部である。 つまり、宇宙には大きさはなく、構造のみが存在するのである。 我々自身が一杯のコップの水の中の宇宙に存在しているのか、池の水の中の宇宙に存在しているのか、はたまた大海の水の中の宇宙に存在しているのか特定することは永遠に不可能である。 あれよりこれが大きいとか、小さいとか、遠いとか、近いとかのサイズの概念は我々人間が生活上の必要性から創った概念であり宇宙の概念としては適用できない。 この人間が創ったサイズの概念が 「宇宙の果て問題」 を発生させた。 つまり、宇宙の果てはどうなっているのかという問いである。 この問いを解いた人は未だいない。 それは大きさという概念をもってして考えるからであり、この概念を捨て去ればこの問題は難なく解ける。 つまり、宇宙とは仕組みという概念であり、大きさという概念ではない。 大きさという概念がなきところに宇宙の果という概念はもとから存在しないのである。 この仕組みこそが宇宙の構造でありメカニズムである。 この宇宙の仕組みがなぜにこのようなのかは ・・ もはや神のみぞ知るところであろう。
環状連鎖ウェーブコイル群
 現代情報化社会が創りあげた半径3Kmの小さな世界である 「細部」 としての超ローカル社会と地球規模の大きな世界である 「全体」 としての超グローバル社会という2つの世界は互いに相克するものではなく密接に繋がった1つの世界である。 そのことに悟り至れば、目から鱗が落ちるがごとくにさまざまな迷いから解放されるにちがいない。 だがその覚醒に至る困難さは筆舌に尽くしがたく、弘法大師空海は 「太始と太終の闇」 と題する偈をもって以下のように描いている。
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し

2021.06.05


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