線形時間を廃した時間も空間もない 「今の今」 の世界とは、空海が目指した想像と現実が融合した
「即身の場」 である。 顕教を究めた最澄は左脳(認識)の人であるのに対し、密教を究めた空海は右脳(直観)の人である。 その空海が目指した
「即身」 の教えが左脳的な認識を超越した右脳的な直観に終始することはやむを得ないことであって、その直観を認識で理解しようとすることには多大な困難がともなうこともまた当然の仕儀である。
その違いは代数学と幾何学の対比に相似する。 数式を使って解に導く代数学ではデジタル的な認識が優先されるのに対し、図形を使って解に導く幾何学ではアナログ的な直観が優先される。
前者の解は 「理解」 であるのに対し、後者の解は 「頓悟」 である。 手順を踏んだ認識で得られる 「理解」 と瞬時の意識跳躍で得られる
「頓悟」 ではその本質がもとから異なっている。 密教の頓悟(悟り)が 「大いなる秘術」 とされる所以は実にここにある。
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