Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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理解と頓悟〜認識と直観の狭間
 線形時間を廃した時間も空間もない 「今の今」 の世界とは、空海が目指した想像と現実が融合した 「即身の場」 である。 顕教を究めた最澄は左脳(認識)の人であるのに対し、密教を究めた空海は右脳(直観)の人である。 その空海が目指した 「即身」 の教えが左脳的な認識を超越した右脳的な直観に終始することはやむを得ないことであって、その直観を認識で理解しようとすることには多大な困難がともなうこともまた当然の仕儀である。 その違いは代数学と幾何学の対比に相似する。 数式を使って解に導く代数学ではデジタル的な認識が優先されるのに対し、図形を使って解に導く幾何学ではアナログ的な直観が優先される。 前者の解は 「理解」 であるのに対し、後者の解は 「頓悟」 である。 手順を踏んだ認識で得られる 「理解」 と瞬時の意識跳躍で得られる 「頓悟」 ではその本質がもとから異なっている。 密教の頓悟(悟り)が 「大いなる秘術」 とされる所以は実にここにある。
 想像と現実が融合した 「即身の場」 は物質的運動をともなった 「今の今」 という 「刹那の宇宙」 である。 その宇宙に意識的想像をもってアプローチする人間にはいかなる方法があるのか? その宇宙が物質的運動を基とする以上、意識的想像をのみもってしては実現は不可能である。 言葉としては合理性が欠けるが 「意識的運動」 をもってアプローチすることが妥当であろう。 曰く。運動するように想像することである。 言葉の合理性からはさらに逸脱してしまうが頓悟を目指す大いなる秘術ともなれば充分に許容されるものであろう。 運動をともなった想像として想起されるのは陽明学を創始した王陽明が唱えた 「知行合一」 の教えである。 「知行合一」 とは知(即ち想像)と行(即ち運動)を融合一致させることである。 「知って行わざるは知らぬに同じ」 ということである。 王陽明もまた空海同様に過去と未来で構成された仕組みとしての仮想の連続宇宙ではなく、実在としての刹那宇宙である現在に生きた達人であったということができる。

2021.01.08


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