確信が失われ不確定性に満ちたカオス社会では全ての人を納得させる 「客観性」 よりも自らを納得させる
「主観性」 が求められる。 誰もが何を拠り所にして生きたらよいのかに迷っている。 内で迷っているがゆえに、外では自信に満ちた風情を装っているのである。
現代社会はいたるところ装われた自信を纏った人々で満ちあふれている。 内が迷っていては客観性に基づいた価値観など自らの確信の根拠にはならない。
必要なものは 「内なる確信」 なのである。 内に確信があれば外なる風情も自ずと自信に満ちてくるというものである。 依るべきは、社会が私をどう思うのかという
「客観性」 ではなく、私が社会をどう思うのかという 「主観性」 なのである。 「我思う、ゆえに我あり」 とは言い得て妙である。
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