Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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社会学的カオス理論
 物理学的視点から社会学を考察したものとして 「社会学的インフレーション理論」 と 「社会学的不確定性原理」 の2つの論考がある。 今回はそれらの論考の延長線上に位置する 「社会学的カオス理論」 への可能性を考察する。
社会学的インフレーション理論
 物理学がいうところの 「インフレーション理論」 は宇宙が誕生直後、光速を超えるスピードで急激な膨張を起こしたとする理論である。 我々が住む宇宙が 「平坦」 で、どこでも 「一様」 であることの理由は、この理論を使って説明される。
 現代社会を観察すると、さまざまな社会現象が急激に膨張しているように見える。 これらの状況は 「社会学的インフレーション理論」 成立の可能性を暗示する。 両者のインフレーションの違いは、物理学的インフレーションが 「物質世界を基盤」 にしているのに対し、社会学的インフレーションは 「意識世界を基盤」 にしていることである。 近年における意識世界の急激な膨張が、情報技術の急速な発展に起因していることは異論なきところであろう。 したがって、社会学的インフレーション理論での膨張係数(膨張率)は、おそらく情報化技術の根源となっているコンピュータの演算速度やネット回線のデータ転送速度の上昇係数(上昇率)によって計算されることになるであろう。
 物理学的インフレーションとの相関で考えれば、社会学的インフレーションは 「平坦で、どこでも一様な社会の出現」 ということになるのであろう。 わかりやすく言えば 「均等で、中立で、無色で、無個性で、無機質で ・・」、よりわかりやすく言えば 「どこを切っても同じ顔があらわれる金太郎飴のような」、ひと言で言えば 「何の変哲もない変わりばえのしない」 社会である。 このインフレーションが我々人間にとって、はたして幸せなのかどうかは熟慮を要する。
 ちなみに現代物理学が予測する 「宇宙の終末」 とは、限りなく膨張する中で温度は低下していき、やがてエネルギ密度は均等となり、「熱的死」 と呼ばれる、動くものなく物音ひとつしない 「静かな暗闇の世界」 である。 同様に社会学的インフレーション理論が予測する 「社会の終末」 が、戯言(たわごと)に戯言を限りなく重ねていくうちに大戯言となって飽和し、やがては何を言っても意味をもたない、「心的死」 と呼ばれる、虚無的で無感動な 「静かな暗闇の世界」 であるなどとは想像したくない。 (2013.03.05)
社会学的不確定性原理
 量子世界を描いたハイゼンベルクの 「不確定性原理」 とは、量子の 「位置」 と 「運動量」 の2つを同時に高い精度で確定することはできず、片方の精度を上げようとすれば、もう片方の精度が下がってしまうという原理である。
 社会学的インフレーション理論では、コンピュータをもととした情報化技術の飛躍的進歩が意識社会を急激に膨張させることについて考えた。 この意識社会の急激な膨張変化はさまざまな社会的現象(事件)を頻発させるが、今では発生した現象の意味をその時点で正確に確定することが難しくなっている。 事態の変化が速すぎて、とらえた情報がその時点ですでに陳腐化してしまっているのである。 テレビのワイドショー番組(現在では情報番組と呼ぶのであろうか?)でさえ、めまぐるしく変化する情報について行くのがやっとの状況である。
 社会はニュートンが描いた絶対的な世界観からアインシュタインの相対的な世界観を経て、今やハイゼンベルグが描く 「不確定性原理が支配する量子論的な世界観」 に移行しているように見える。 (2013.09.03)
 以上の論考から次なる社会を考察すると以下のような社会構造理論が導かれる。
社会学的カオス理論
 宇宙にはその内蔵秩序としての 「対称性」 が存在する。 時間軸に沿って現れる宇宙の胎動とはその 「対称性」 が少しづつ崩れていく過程であると考えられる。 宇宙は整然たる対称性の世界から、徐々に非対称な雑然たる世界へと変化していくのである。
 その過程を熱力学的に表現したものが 「エントロピー増大の法則」 である。 宇宙の万物事象は熱力学的な反応(変化)をするたびにエントロピーが増大する。 エントロピーとは別名 「曖昧量」 と呼ばれる量である。 エントロピーが増大するとは万物事象が複雑に曖昧になっていくことを述べている。 人間は誰しも物事をしっかりとした決定論の下に置きたいのであろうが宇宙はそれを許さないのである。
 複雑に曖昧になっていく宇宙を理解しようとするのが 「カオス理論」 である。 この理論が語るところは 「結果の描写」 ではなく、その結果に至る 「道筋の描写」 である。 我々は長きに渡ってニュートン力学に代表される 「決定論的思考」 を基盤にして探求を進めてきた。 だがカオス理論から導かれた 「バタフライ効果」 によれば、「アマゾン川の大洪水がアメリカ大陸の片隅に棲息する一匹の蝶の羽ばたきに起因する」 という驚くべき 「道筋」 が語られる。
 現在の世界経済はエントロピーが急速に増大したことで様相は日増しに複雑化して曖昧になっている。 何が世界大恐慌の引き金になるのか誰も分らない。 アマゾンの大洪水のごとく、「世界の片隅に存在する小さな会社の倒産」 が引き金となって、世界経済全体が崩壊してしまうかもしれない。 うっかり 「くしゃみ」 もできないというのがカオス化した社会での現実なのである。
 「混沌からの秩序」 を著したイリヤ・プリゴジン(1917年〜2003年)は散逸構造理論(自己組織化)の研究でノーベル賞を受賞した。 だがニューヨーク・タイムズ紙は 「確信の終焉」 を論じたその 「混沌からの秩序」 をあまりに危険すぎるとして論評を差し控えた。 もし科学が確信をもたらすことができないのであれば、いったい 「何を信じたらよいのか?」 というのである。 それに応じてプリゴジンは 「カオス」、「複雑系」、「不確定性」 等々の概念を社会の一般人が受け入れたのは社会そのものが 「流動的」 になってきているからに他ならないと主張。 かかる状況を以下のように要約した。
 たとえば信心深いカトリック教徒も、その両親や祖父母たちに比べればたぶん今ではそれほど深く信じていないであろう。 私たちはもう以前のようにマルキシズムや自由主義にこだわってはいないし古典的な科学をもまた信じてはいない。 同じことが 「芸術」、「音楽」、「文学」 等々についても言える。 社会は多様化した人生観や世界観を受け入れることを学んだのだ、そして人類は 「確信の終焉」 を迎えたのである。
 かくこのような社会で 「明確な目標とは」、「確実な解決策とは」、「揺るがない価値観とは」 ・・ と問われても茫然自失して 「立ち尽くす」 のみである。 まして超高速スーパーコンピュータでその帰結を計算させたところで 「ろくな結果」 しか得られないのは言うまでもない。 世界はこうであるかもしれないし、そうでないかもしれないのだ。

2020.10.01


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