Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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徒然の記
 第1443回 「方丈の記」 では鴨長明の 「方丈記」 について書いた。 鴨長明の生年は1155年、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて活躍した随筆家である。 他方。 「徒然草」 を書いた兼好法師(吉田兼好)の生年は1283年、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した随筆家である。 長明の没年は1216年であるからともに会合したことはなかったであろう。 鴨長明の 「方丈記」、兼好法師の 「徒然草」 は、清少納言の 「枕草子」 と合わせて 「日本三大随筆」 として並び称されている。
 方丈記は以下のように始まる。
 行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし ・・・
 長明が生きたのは今を遡る800年程も前のことである。 晩年の長明は京の郊外に位置する日野山(京都市伏見区日野)に一丈四方(方丈)の庵をむすび隠棲、その小庵で当時の世相を観察して書き記した。 表題の 「方丈記」 とは自らが名づけたものである。 無常観の文学とも、また乱世をいかに生きるかという人生論ともされる。 方丈記が書かれた時代は、安元3年(1177年)の都の火災、治承4年(1180年)の都で発生した竜巻、その直後の福原京遷都、養和年間(1181年〜1182年)の飢饉、元暦2年(1185年)に都を襲った大地震等々と災害が頻発した時代であった。 方丈記に流れる無常観とはこれらに帰因してのものであろう。
 他方、徒然草は以下のように始まる。
 つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ ・・・
 兼好の出家の理由は 「政権交代によって出世に影がさした」、「兼好本来の性格によるもの」 など諸説あるが明確な理由はわかっていない。 妻子もおらず、出家後は一人静かに遁世生活を送ったという。 兼好が生きたのは鎌倉幕府から室町幕府に至る動乱期であった。 兼好はそんな時代の激動から距離を置き徒然草の執筆に励んだのである。
 方丈記、徒然草に漂うのは独特な 「無常観」 である。 それは平安時代末期から鎌倉時代前期、さらには鎌倉時代末期から室町時代前期(南北朝時代)に渡る政変や自然災害から受けた無常観に因をなすものであろう。
 そして今、見渡せば現代日本もその状況は当時とそうは変わらない。 最近の若者たちは都会を離れ山野を目指すという。 その生活は1坪程の小屋(プレハブ)での自給自足生活に近いものであるという。 それはどこか長明が為した方丈(1坪)での生活や兼好が為した出家隠遁の生活を彷彿とさせるものである。 時代は800年の歳月を経て 「草庵の生活」 に回帰して行くのであろうか? であれば、「方丈の記」 や 「徒然の記」 はそんな彼らの手引き書になるにちがいない。

2020.09.30


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