しかして、現代人はパスカルが考えたような 「思考する存在」 なのであろうか? 時代が進めば進むほどに人間は考えなくなっていくようにみえてしかたがない。
それぞれに理由はあろう。 曰く、忙しくて考えてなどいられない。 曰く、考えても何も変わらない。 曰く、考えていたら生きていけない。
曰く、考えることなど人間がすることではない。 曰く。 曰く。 曰く。 考えないことの言い訳は尽きることなく連続する。 そこにはパスカルが称賛した人間に対する尊厳や偉大さのかけらもない。
考えない葦では孤独で弱い 「ひとくきの葦」 でしかないということか? 「元の木阿弥」 とはこのことである。
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