それは記憶喪失にでもならないかぎり不可能のように思える。 即身は想像と現実の 「一致」 を求めるが、今、目の前にする
「現実の夏」 は 「いかなる想像の夏」 と一致させたらいいのであろう。 勿論。現実の夏は物質的現象であって、私の意識的想像である想像の夏が含まれる余地はない。
現実の夏は 「ただそこに存在する」 だけである。 即身として、想像の夏と現実の夏を一致させようとすれば、今まさに目にしている現実の夏に、それ以外の想像の夏を対応させることはできない。
言うなれば、現実の夏に、かっての 「さまざまな夏の記憶」 を含ませてはならない。
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