Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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潮流の大反転
 コロナ禍のあとの世界はいかなることになるのか?
 おぼろげながらも潮流反転の兆しが垣間見えてきた。 それは中央から地方への反転である。 より大観的にとらえれば 「グローバルからローカルへの大反転」 である。 つい先日まで人々はローカルからグローバルへと「遮二無二」突き進んでいたことからすれば青天の霹靂のような出来事である。その潮流を新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)がいともたやすく覆してしまったのである。このような大反転を予想し得た人はそう多くはいなかったのではあるまいか? 私が子供の頃、世の潮流はローカルとしての田舎からグローバルとしての都会へと流れ、東京は「花の都」と呼ばれていた。その東京も今や花の都ではなく、危険に満ちた 「生き難い場所」 に変質してしまった。人口の過密は感染症にとっては感染拡大の温床であり、過剰なる豊饒は人として価値観の退廃と精神の凋落をもたらしている。 なによりもグローバルスタンダードを声高に喧伝してきた超大国アメリカでさえその衰退は目を覆うばかりである。
 「驕る平家は久しからず」の喩えのごとく、「栄枯盛衰の理」は「宇宙の内蔵秩序」であって、何人も避けることはできない。強権を誇ってきたさしもの「経済至上主義」も、三密(密集、密接、密閉)を封じられては為すすべもない。打開策として用いられた在宅勤務(テレワーク)等の「経済合理性」もかえってグローバルからローカルへの潮流を助長したに過ぎない。 今後、多くの企業での本社はITを駆使した大型のウェブサーバーが置かれているだけのものとなり、大半の社員が住所不定の在宅勤務要員に化するかもしれない。さらにそのウェブサーバーも「人工知能」によって緻密にコントロールされ、業務指示から勤務評定まで「人智を介さず」効率的に行われるようになるのかもしれない。
 情報化社会が目指す世界とはこのような社会ではなかったか? あるいは、かくなる方向性は情報化時代が始まった時点ですでにして予期されていたものであって、「コロナ禍」とはその 「きっかけ」 であったに過ぎないのかもしれない。 とまれ、グローバルからローカルへの潮流の大反転は、もはや幻想なのではなく、避けられない現実なのである。

2020.06.17


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