Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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色即是空と空即是色
 「発見される宇宙と発明される宇宙」、「自力本願と他力本願」、「心象世界と現象世界」 2つの宇宙を隔てる大きな溝について考えてきたが、その隔絶を埋める方法はないのであろうか?
 ぼんやりではあるが、般若心経の「色即是空 空即是色」の世界観にその方途が垣間見えている。 「色即是空 空即是色」は般若心経の神髄であって、「色」とは有であり、存在を意味し、「空」とは無であり、非存在を意味する。 「色即是空 空即是色」を直訳すれば 「在ると思うと無い 無いと思うと在る」 となる。これが観自在菩薩が深く修行をしていたときにわかった 「この世の実相」 である。この実相から冒頭で掲げた2つの宇宙存在を考えれば、「発見された宇宙は 発明された宇宙であり」、「発明された宇宙は 発見された宇宙である」と等価的に変換される。
 この等価的表現はあたかも現代量子物理学が説明する 「量子の2重性」 の解説を聞くかのようである。 様々な物理現象における物理量の最小単位である量子は「粒子生」と「波動性」の2つの性質を兼ね備えている。だがこの2つの性質は同時に観測することはできない。粒子性を観測しようすれば波動性は観測できず、波動性を観測しようとすれば粒子性が観測できない。 さらに、量子の「位置」と「運動量」の2つを同時に観測することもまたできない。位置を観測しようすれば運動量は観測できす、運動量を観測しようとすれば位置が観測できない。 これらの現象は量子世界の不確定性を述べている。
 ミクロの量子世界とマクロの現象世界が同じ構造をもつことは、「細部は全体であり、全体は細部である」とする「フラクタル構造法則」からも充分に納得できることであろう。 つまり、発見される宇宙と発明される宇宙、自力本願と他力本願、心象世界と現象世界 ・・ 等々の2つの宇宙は同時に観測する(眺める)ことはできないということである。

2020.05.25


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