宇宙は「発見」されるのか? それとも「発明」されるのか? 問いは人間における意識介入の違いにあることに帰着した。かかる問いの構図は仏教思想における「自力本願」と「他力本願」の対比構造に相似する。本願とは菩提心を起こし成仏(仏に成ること)を願うという意であり、その本願には自力と他力の2つの道筋があるというのがその中核をなしている。さらに詳細な説明となれば、仏教の思想体系全域に渡ることにもなりかねないのでここでは割愛する。
本稿の主旨に従って要点のみを述べれば「発見される宇宙とは他力本願の世界であり、発明される宇宙とは自力本願の世界である」とする指摘にとどめる。
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