Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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自力本願と他力本願
 宇宙は「発見」されるのか? それとも「発明」されるのか? 問いは人間における意識介入の違いにあることに帰着した。かかる問いの構図は仏教思想における「自力本願」と「他力本願」の対比構造に相似する。本願とは菩提心を起こし成仏(仏に成ること)を願うという意であり、その本願には自力と他力の2つの道筋があるというのがその中核をなしている。さらに詳細な説明となれば、仏教の思想体系全域に渡ることにもなりかねないのでここでは割愛する。 本稿の主旨に従って要点のみを述べれば「発見される宇宙とは他力本願の世界であり、発明される宇宙とは自力本願の世界である」とする指摘にとどめる。
 意図をもった厳しい修行によって成仏に至る自力本願からすれば、南無阿弥陀仏を唱えるだけで成仏できるという他力本願の手法を図りかねるのは当然の仕儀であろう。だが逆に他力本願からすれば不完全な浅知恵から生まれた人間の意図をもって成仏できるなど思い上がりも甚だしいと自力本願の真意を図りかねるのもまた当然の仕儀であろう。2つの本願を隔てる溝は大きくて深い。同様に、発見される宇宙と発明される宇宙を隔てる溝もまた大きくて深い。

2020.05.21


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