我々日本人は先の戦争でいったい何を学んだのであろうか? 「二兎を追う者は一兎をも得ず」、「竹槍で戦車に対抗する」、「我が方の損害軽微なり」
で描いた風景はそのことを強く訴えている。 いつであったか日本の体制は、上から下まで不作為の作為に支配された 「集団的無責任体制」
であると書いたことがある。 不作為の作為とは、問題が起きるのが分かっていながら手をこまねいて何もしないという作為をもった不作為である。
それは、「誰かがやってくれる」 であろうという自己責任回避の無責任体制であり、いつか 「神風が吹いてくれる」 であろう式の根拠なき希望的観測に頼った無責任体制である。
「責任は誰にもない」 という帰結が、この体制の帰結であって、帰着した結果については、「しょうがなかったのだ」 という諦観(諦念)によって総括される。
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