国破れて山河あり 城春にして草木深し・・漢詩、杜甫の「春望」の冒頭である。 俳人、松尾芭蕉は奥州平泉を訪れたときこの詩を思い出して次のように感泣している。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ (杜甫は春望で国破れて山河ありと詩を詠んでいる。国が滅びてしまっても山や河は昔と変わらずそのままだ。荒廃した城にも変わらず春は巡ってくるが、ここには草木がただ生い茂っているだけだ。私は笠を置いて腰をおろし、その詩を思い出しながら
いつまでも栄華盛衰の移ろいを思って涙した。)」
私もまた連載中の「 信州つれづれ紀行」につれて信濃の山河を駆けめぐってきた。
そこにはいつも人間の営みを超えてあり続ける悠久な山河が横たわっていた。 ときに応じ「人尽きて山河あり」の感懐にたたずむことしきりであった。
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