「旅の途中 人間的な結末」(日本ペンクラブ会長、吉岡 忍)
・・・ 続いて道造は長崎に向かった。 高台の洋館に一室を借り、青春詩から実人生の作品へと脱皮しようと意気込んでいたが、案内されたそこは生活のにおい、というより腐臭が漂うあばら家だった。
彼は思わず身を引いた。 苦痛に満ちたノートの一節は、さながら一編の小説だ。 翌日、高熱にうなされ、喀血した。 死はそれから4ヶ月後に訪れた。
われわれはノートを頼りに大浦天主堂下の洋館通りや、治療してもらった眼鏡橋近くの医院を探し歩いた。 洋館はとうの昔に取り壊され、医院跡は更地になっていた。
書店で見かけた文学散歩風のガイドブックにも、彼の痕跡は見あたらなかった。 わかったことがひとつある。道造を看取った恋人はそれから20年後、関東から長崎に移り住み、クリスチャンとなって天寿を全うした、という。
何よりもこの事実が、旅の途中で終わった彼の詩と人生にひそやかな、だが、彼らしくも人間的な結末をつけているように私には思われた。
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