Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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この世界はいかなるものか
 自らが生きている世界が 「いかなるものか」 を知ることは人間にとって究極の課題であろう。 それは生きる目的と言ってもよい。 すべての存在意義はそこから始まるのであるから。 その存在意義を知ることなく生きていることは 「井の中の蛙大海を知らず」 の喩えのごとくその視界は生涯に渡って開かれることはない。 何を知らないといって 「これほどの欠落」 は他にないであろう。
 だが悲しいかなそのことを分かっている人はそう多くはない。 何のために勉強するのか? 何のために働くのか? 何のために ・・? 常日頃、口にはするが究極まで考えた人はそう多くはない。 多くは途中で思考を停止させ 「とりあえず」 という目先の妥協案に従ってしまう。
 しかしながらかくなる妥協を排してこの 「何のために」 を考え続ければやがて冒頭に掲げたこの世界が 「いかなるものか」 という課題に行き着く。 なぜなら、自らが生きる 「世界がいかなるものか」 がわからなければ、自らが 「何のために生きるのか」 という問いの意味じたいが消失してしまうからに他ならない。 ともかくも 「この世界がいかなるものか」 を考えることが何よりも先決なのである。
 空海の 「太始と太終の闇」 と題した偈(詩文)は人間のかくなる思考手順の喪失を嘆いたものではなかったか ?
三界の狂人は 狂せることを知らず
四生の盲者は 盲なることを識らず
生れ生れ生れ生れて 生の始めに暗く
死に死に死に死んで 死の終わりに冥し
※) 「太始と太終の闇」 は空海の生涯を代表する大作となった 「秘密曼荼羅十住心論」 をみずからが要約した 「秘蔵宝鑰」 の序文の最終行に配されている。

2019.08.27


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