Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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相即不離〜天才と秀才
 「〇〇の世界」 と通称される世界は〇〇という人間の意識が自ら創りあげた意識世界であるがそれは即ちその人間の周りに展開している物質世界でもある。 意識と物質は1枚の紙の表裏であって切り離すことができない。 言い方を換えれば物質世界は意識世界の鏡像であるとともに意識世界もまた物質世界の鏡像である。 いずれが表(主)で、いずれが裏(従)であるかを確定することはできない。
 空海が主唱した 「即身」 では想像と現実との一致を促すが、換言すればそれは意識世界の想像と物質世界の現実を一致させることに他ならない。 何のことはない。 切り離すことができない意識世界と物質世界であってみれば、しいて想像と現実の一致を促す必要などもとからなかったのである。 おそらく空海はそのことが分かっていたのであろう。 しかるがゆえに空海は仏になろうとする全ての企てを捨て去って 「仏として仏らしく生きればいい」 と断言したのである。 他方。最澄にはかくなる仏法の根本義が理解できなかったがゆえに、仏になろうとする企てを捨て去ることができずに生涯を 「仏になるための修行」 に捧げたのではあるまいか?
 瞬間の意識跳躍を必要とする空海の教えが 「天才の教え」 と呼ばれ、継続の意識努力を必要とする最澄の教えが 「秀才の教え」 と呼ばれるのはかくなる根本義の違いから発しているのではあるまいか。 畢竟如何。 天才と秀才とでは住んでいる世界(宇宙)が違うのである。 「空海の世界」 と 「最澄の世界」 では次元が異なっている 「別の世界」 なのである。 ふたりが最期まで互いを理解し得なかったのはそのためであろう。
 だが意識世界と物質世界が1枚の紙の表裏のごとく切り離すことができないように天才と秀才もまた相即不離であってその主従を確定することはできない。 「Pairpole 宇宙モデル」 が抽出した宇宙内臓秩序としての対称性とはかくのごとしである。

2019.08.10


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