空海が主唱した 「即身」 では想像と現実との一致を促すが、換言すればそれは意識世界の想像と物質世界の現実を一致させることに他ならない。
何のことはない。 切り離すことができない意識世界と物質世界であってみれば、しいて想像と現実の一致を促す必要などもとからなかったのである。
おそらく空海はそのことが分かっていたのであろう。 しかるがゆえに空海は仏になろうとする全ての企てを捨て去って 「仏として仏らしく生きればいい」
と断言したのである。 他方。最澄にはかくなる仏法の根本義が理解できなかったがゆえに、仏になろうとする企てを捨て去ることができずに生涯を
「仏になるための修行」 に捧げたのではあるまいか?
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