画策が人智をもって社会をコントロールしようとする試みであるとすれば、その策の多くが道義的真偽に則った社会的真偽に基づいて制作されることは当然の成り行きであろう。
社会的真偽は相対的なものであって時と場合によって変化する。 現代ではその時と場合が頻繁に変化して安定しないため、真偽はいつしかフェイク(虚偽)に置きかえられてしまう。
そうなれば画策はもはや狐と狸の 「化かし合い」 と同義である。 曰く。 現代に於けるあらゆる画策は言うなればこの 「化かし合い」
のことである。 化かし合いは 「騙し合い」 に還元されることで現代フェイク社会の基本路線が確立される。
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