即身の 「何も考えない」 という心の働きから 「何もしない」 という身の働きが導かれることは必然の流れである。
「心身合一」 を標榜する即身の主旨からすれば、陽明学の祖、王陽明が標榜した 「知行合一」 に一致することはまた 「理の当然」
であろう。 即身に至る道は心の内で 「何も考えない」 ことに徹するだけでなく、身の外で 「何もしない」 ことに徹することが車の両輪のごとく肝要となる。
何も考えない何もしないでは現代人からすればさらに馬鹿げたことに感じられて 「もはや思考は停止する」 であろう。 だがそれこそが
「止観の神髄」 でもあるのだが。
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