空海が主唱した 「仏として生きる」 とは、この本物の即身のことである。 かくなる即身を確立した空海にとってみれば、もはや微塵の迷いもなかったであろう。
それ以降の空海の日々は仏として 「何ができるのか」 を想い 「それを実践する」 ことにのみ専念したはずである。 空海が唱えた
「真言(マントラ)」 とは、そのような即身を起動させるための 「起動スイッチ」 の役割をなしている。 ゆえに真言はただ声にだして
「唱えさえすれば」 事足りる。 同様に日々の修行として為される作務はただ身をもって 「業じさえすれば」 事足りる。
|