Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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夕べに死すとも可なり〜太始と太終の闇
 孔子は人生の究極の目的である 「生きる意味」 を探して生きてみてもその途上で死んでしまったのでは徒労ではないかとの弟子の疑義にこたえて 「朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」 と諭した。 意味は 「朝、真理を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも悔いはない」 というものである。
 他方、空海は生涯を代表する大作となった 「秘密曼荼羅十住心論」 をみずからが要約した 「秘蔵宝鑰」 の序文の最終行に 「太始と太終の闇」 と題した以下の偈(詩文)を配した。
 三界の狂人は狂せることを知らず
 四生の盲者は盲なることを識らず
 生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
 死に死に死に死んで死の終わりに冥し
 空海はこの偈を書き終えて5年後、62歳で高野山に入定(入滅)している。 狂せることを知らない 「三界の狂人」 と盲なることを識らない 「四生の盲者」 に囲まれた現世で空海が到達した 「夕べに死すとも可なり」 として 「朝に聞いた道」 とはいったい何であったのか? 空海はそれを 「太始と太終の闇」 と密教者特有の抽象性(秘密性)で表現したのであるが、その闇を解明した者は空海滅後1200年になろうとする今も尚、現れてはいない。

2019.05.09


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