Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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愚か者の弁明
 目先のことばかり考えて生きていて 「やがて行き着く終着点」 でいったい人間は何を考えるのか? それでよかったと考えるのか? それとも大いなる徒労であったと考えるのか? 現代社会の様相を鑑みれば、やがて行き着く先を考えて生きる者よりも、目先のことだけ考えて生きる者の方が大勢を占めるであろう。 理由は多々ある。 変化が激しい現代社会では先を考えることができない。 科学技術が発達した現代社会ではあれこれ考えたところで人間がやれることはたかがしれている。 見つからない未来の夢を探すよりも可もなく不可もない現代社会の現実の中でおもしろおかしく生きたほうが楽である。 等々。 どの理由も 「かくありなん」 とうなずかざるを得ないものばかりではある。 それがゆえに行き着く先のことを考えて生きるなどは 「愚か者」 のすることだとの帰結に至っているのである。
 以下の記載は論語から引用した 「愚か者の弁明」 である。
 人生の究極の目的である 「生きる意味」 を探して生きてみてもその途上で死んでしまったのでは徒労ではないかとの弟子の疑義にこたえて孔子は 「朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」 と諭した。 意味は 「朝、真理を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも悔いはない」 というものである。 目先のことばかり考えておもしろおかしく生きる現代の賢人はこの孔子の言葉をいかに聞くのであろう。 しかして 「愚か者」 とはいったいどちらなのか?

2019.04.22


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