空海の求道法である 「仏として生きる」 はまた陽明の求道法である 「心即理」 に一致する。
仏として生きるとは人間は本来仏であって仏に成ろうとあれこれ考えずとも仏として仏らしく生きれば 「それでいい」 とする大きな意識跳躍をともなう超越的な教えである。
同様に 「心は即ち理である」 とする心即理は人間は生まれたときから心と理は一体であって心があとから付け加わったものではなくその心が私欲で曇っていなければ
「心の本来のあり方がおのずと理と合致する」 とするこれまた大きな意識跳躍をともなう超越的な教えである。
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