この 「なぜ」 を考え始めることこそが実に即身への最大にして最強の障壁である。 それは 「仏になろうとした最澄」
が採った 「修行の道」 の糧が 「なぜを問う」 ところを拠り所にしているからに他ならない。 その道はどこまでいっても 「自らが仏であるとした空海」
が採った 「即身の道」 とは交差しない。 仮に想像と現実が融合しないとする原因を探し当てその原因を修行によって克服したとしても
「融合が達成」 されるかの見込みはない。 なぜなら、ひとつの 「なぜの解決」 は新たな次なる 「なぜの始まり」 であって、その追求は尽きることがないからである。
空海はかくなる 「なぜの無限循環メカニズム」 の陥穽に気づいたのではあるまいか? この道では人は救われないということを。
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