Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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失われた30年
 「失われた10年」 は今や 30年 になろうとしている。 失われた10年とは戦後急成長してきた日本経済がバブルと呼ばれた未曾有にふくれあがった 「豊饒の泡」 がはじけた1990年頃からの10年間に渡る 「社会の凋落と低迷」 を指した言葉であった。 だがその停滞はその後も続き、30年に及ぼうとする現在もなお改善する兆しは見えてこない。 そして今 「失われた10年」 は 「失われた30年」 に改題されようとしているのである。
 ではいったい 「何が失われた」 というのであろうか?
 簡単に言えば、戦後復興から始まったまれにみる成功の数々の上に築かれた経済的資産が失われてしまったということになろう。 その事態をさらに還元すれば、かくなる成功の基となった 「ビジネスモデル」 の有効期間が消滅してしまったと言うこともできる。 しかして、停滞の事態が変わらないという事実は 「消滅してしまった有効期間」 がまだ充分に残っていると 「信じて疑わない」 我々自身の意識が少しも変わっていないことを示している。
 以下の記載は科学哲学エッセイ 「Pairpole(ペアポール)」 の発刊(1998年11月28日)にあたって書いたその後書(エピローグ)である。 少し長くなるがその全文を抜粋する。
 20世紀を終えようとする現在、人類は有史以来の転換点を迎えている。 この転換点とは人類の繁栄を築いた因果律の飽和点である。 人類のこれからの目標は過去数千年の長きにわたり鉄壁に築かれたこの因果律の分厚い壁の突破である。
 この突破の手がかりは物理学で言えば量子論から生まれた各理論であり、熱力学で言えばイリヤ・プリゴジンの提唱した非平衡熱力学の散逸構造理論(自己組織化)であり、心理学で言えばユングの提唱した目的論(共時性)であり、その他複雑系を扱うカオス理論等々の展開と可能性であろう。 これらの研究の根底にはどれも超因果律の直観が横たわっている。 この原因と結果で構成されない論理は従来の原因と結果で構成された因果律に慣れ親しみ価値を構築してきた人類には大きな 「とまどい」 であろう。 現在進行する情報化社会へのシステム変換はその序章である。
 人類がたどってきた狩猟採集社会、農耕社会、工業社会の各システムの根幹はすべて形と重さのある物体の性質、機能、価値を追求する 「唯物的システム」 であった。 しかし、情報化社会の最も異なる点は形も重さもない情報を追求するところにある。 ここで言う情報とは認識であり、知識であり、精神であり、心であり、唯識という言葉にまとめられるものすべてを含む代名詞である。 つまり、今後構築される社会の中心システムは 「唯識的システム」 である。 人類はこれまでの唯物的システムの構築において大成功を収めた。 今まで人類が構築したさまざまな学問や構築された理論はその成功を支えた強力な 「思考ツール」 である。 しかし、そのどれもがこの唯物的システムの中心対象である物体の性質、機能、価値を説明する基本法則であった。 次なる社会の唯識的システムの中心対象は識体の性質、機能、価値を説明する基本法則である。 姿形も重さもない認識や知識や精神や心を説明する基本法則である。 唯物と唯識は本文でも述べたように一体的なものである。
 唯物的基本法則が物体の外観を述べたものであるのに対し、唯識的基本法則は物体の内観を述べるものである。
 縄文と弥生の項で明らかにしたように、かって人類はこの物体の内観をとらえていた。 しかし、物体の外観をとらえる因果律法則を獲得するや人類はこの物体の外観的な価値追求に奔走し内観的価値を置き去りにしてしまったのである。 人類は20世紀を終えるこの時空に至ってようようそのことに気づきだしたのである。 現在世界を取り巻く経済システムの混乱、社会システムの混乱、価値基準の混乱がそのことをよく物語っている。 因果律とエネルギ保存則は等価法則であることは本文で述べた。 つまり、原因というエネルギは結果というエネルギに転化する。 これで考えれば従来の社会システムの基本エネルギであった物的外観エネルギという原因エネルギは物的内観エネルギという結果エネルギに転化するということである。 この大きなエネルギ転化を理解しなければ今後展開するであろう情報化社会のシステムに対応することはできない。 それは石油という物的外観エネルギから熱という物的内観エネルギに転化するようなものである。 エネルギ保存則はこの転化の前後でエネルギ量は一定に保たれるという法則である。 ゆえに社会システムの転換により発生するこの大きな基本エネルギの転換においてもエネルギ量は一定に保たれている。 エネルギが増減したり消滅するわけではない。 石油から熱に変わるようにただ姿形が変わるだけである。 これは最も忘れてはならない重要なポイントである。 これを理解し人類自身がこのエネルギ転化に応じた変身ができれば転化エネルギを有効に運用することは可能である。 いま世相で叫ばれる 「発想の転換」 とはまさにこの 「人類の変身」 の意味である。
 この稿で私はこの転換を訴え画したつもりである。 それができたか否かは皆さんの評価と後世の実展開を待つしか他に手だてがない。 しかし、私自身のもてる知恵と意欲のすべてを駆使し思考したつもりである。 その結果はまた私自身の最も期待するものでもある。 それを支えたものは工学メカニズムの開発で培った 「開拓者魂」 である。
 世には大別して 「開拓者」 と 「耕作者」 という2種類の人間分類がある。 開拓者とは自らの意志で山に入り木を切り倒し開墾し田畑を創る者であり、耕作者とは開墾された田畑で種を蒔き水をやり作物を作る者である。 この 「創る者」 と 「作る者」 の違いは思考と行動の姿勢において180度異なる。 「創るとは無から有を生む者」 であり 「作るとは有から有を生む者」 である。 日本の産業発展の歴史を考えた時、この創る者と作る者の違いが歴然と現れてくる。 私が社会に出た頃の期待される人間像とは世界のホンダを創始した本田宗一郎氏であり、世界のソニーを創始した井深大氏などであった。 本田さんはナッパ服を着て油まみれになり世界一のエンジンを創ろうとしていたし、井深さんはプレハブ工場で世界一小さいトランジスタラジオを創ろうとしていた。 その頃の日本の社会環境は現在とは比べようもなく不遇であり貧しかった。 勤めるのに職はなく給料の遅配はまれではなく生活は苦しかった。 だが、その頃の日本人はそんな生活の不安感などは眼中になく危険も省みず夢と情熱だけで未知なる空間に挑戦していた。 まさにサツマイモをかじりながら昼夜を忘れ、創ることに狂奔していたのである。 その頃の日本人はすべてが開拓者であった。 しかし、その後、日本人は耕作者の道を歩みだす。 開拓者の開墾した田畑で種を蒔き水をやり作物を育て収穫を得る。 結果、日本はまれにみる豊かな国となったのである。 それが現在我々が眺める日本の風景である。
 しかし、この長く続いた豊かな社会はいつしか開拓者の精神を喪失してきた。 現在の日本は未曾有の不況にあえいでいる。 仕事がないのである。 それは本文に書いたように、いつしか日本は 「下請立国」 になってしまったのである。 一億総じて注文待ちの状態である。 この状況は開拓者がいなくなり耕作者だけの社会では必然の帰結である。 有から有を生む耕作者の姿勢は基本的に下請け姿勢であり注文待ちの姿勢なのである。 日本人は今、危機感を持ち始めている。 しかし、その危機感とは未知に挑戦する危険に対する危機感ではなく、今までの安定と平穏な生活が失われるのではないかという安定基盤の喪失に対する脅迫観念的危機感である。 言い換えれば会社が倒産する恐怖であり、職を失う恐怖であり、給料がなくなる恐怖である。 現代人の多くはこの脅迫観念的恐怖に突き動かされて行動している。 言うなれば 「受動的危機感」 である。 これはかっての日本人にはみられなかった危機感であり、安定と平穏と豊かさを享受してきた者のみが抱く危機感でもある。 かって開拓者であった日本人の危機感とは不安定と混乱と貧しさから立ち上がった、言うなれば 「能動的危機感」 であった。
 安定を求めると不安定になり、不安定を求めると安定になるとはこの稿の述べるところである。
 私も若い頃にはロッククライミングをしていたが、岩壁で落下しないためには体をできるだけ壁面から離すことである。 つまり、体を空中に投げ出すのである。 これにより支持点である両足に重心が移動し落下しにくくなる。 しかし、一般には恐怖感のあまり壁面にしがみつこうとする、すると逆に重心が壁面に移動し落下し易くなる。 これと同様なメカニズムがこれら2つの構図に作用する。 生きようとして生きれず。 死のうとして死ねず。 知に偏して解決できず等々。 これらの構図はすべてこれを物語る。 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」 のことわざのごとく、身を救うためには身を捨てることこそ肝要である。 現代日本人が安定を求める限り不安定は続く。 政府の言う 「ソフトランデング」 とはまさに安定を求めて不安定になる方策でもある。 日本が真に再び安定路線に回帰するためには安定に対する脅迫観念的希求から訣別し、不安定をものともせずに挑戦する開拓者になる決心をした時であろう。 それはアメリカの繁栄がヨーロッパから移住してきた貧しき人々の西へ西への幌馬車の隊列と夢に燃えて明日に賭けた開拓者としてのフロンテアスピリットを基盤とすることを考えれば了解されるであろう。 しかし、養鶏場の鶏が安定に満ち住みごこちのよい鶏小屋の扉を自らの意志で開けて寒風吹きすさぶ荒野に出て行くことは言うは易し行うは難しである。 だがそれに耐え100mも歩けば自然野菜の宝庫が横たわっているのであるが ・・・。
 私は現在までずっと開拓者の道を歩んできた。 それはつらく困難な道ではあったが感動と喜びの花畑に満ちた道でもあった。 その開拓者魂の真骨頂がこの著作であろう。 一介の技術者が挑むにはあまりに大胆で身の程を知らぬ暴挙、一匹の蟻が巨大な象に挑む姿である。 だが 「一寸の虫にも五分の魂」 の例えのごとく、我、開拓者魂死しても止まずの心意気は気宇壮大である。
 これを書き終えた今、私の精神は充実しており、また限りなく静かでもある。 それはかって幼き私が見上げた 「寒風が吹き抜け 雲一点ない 碧空の 蕭条たる風景」 である。
(1998.11.28)
 これを書いたのは今思えばまさに 「失われた10年」 が世に喧伝されだした頃に重なる。 その時期に 「Pairpole(ペアポール)」 の発刊が重なったのもまた共時性(意味ある符号)のなせる業であろう。 だがその喪失が 20年 を経て、30年 に及んでも、なお 「かくのごとし」 とあっては、その先を語る言葉も杳として見あたらない。

2018.08.16


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