未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
縄文への回帰、再び
近代文明の発展は、地球環境に多大な影響を与え、かってなかった気候変動をもたらし、あたかも日本列島は 「災害列島」 の様相を呈している。 影響は地球環境にとどまらず、社会環境の根底をも変質させ 「不安定で異常な動向」 は日々その激しさを増している。
第717回
「縄文への回帰」 は20世紀が終わろうとする1999年12月に地元紙(松本市民タイムス)に掲載されたエッセイである。 その末尾で私は以下のように書いている。
人間は機械部品ではないし、また生きる意味は機能とコストという 「電卓」 をいくら叩いても得られるものでもない。 それは自然で自在無碍な 「縄文人の思い」 が語ってくれるものであろう。 そして、ようようにして歴史は今、2000年余の周期を描いて、その 「縄文の思い」 に回帰しようとしているかのように私には眺められる。
兆候はすでにその頃にして現れていたのである。
それに遡ること数年前に 「縄文社会への回帰」 を画して日本列島を奔走していた 「
縄文アソシエイツ
」 の古田英明社長に出逢っている。 それは古田社長が縄文アソシエイツを創業して間もない頃のことであった。 話をしたいと安曇野にあった私の事務所を訪れた古田社長は 「縄文への熱き思い」 を全身で語ってくれた。 青森の 「三内丸山遺跡」 が発掘された折には、仕事を放り出して駆けつけたと、そのときの感動を輝く瞳で表現した。 その出逢いのあと、今度は私が東京の縄文アソシエイツ事務所を訪れた。 小さなオフィスの入り口には縄文でデザインされた暖簾(のれん)が掛けられていた。 お茶を運んでくれた女性社員にその珍しさを問うと 「今年の社員旅行では屋久島の縄文杉を見に行ったんですよ」 と笑って応えてくれた。 その後の 「縄文アソシエイツ」 の目覚ましい躍進はここで語るまでもない。 古田社長に宿った若き日の熱情は縄文の時空を超えて未来の彼方に飛翔したのである。
※)縄文アソシエイツという社名の由来とは
弥生時代以降の日本の歴史はたかだか 「2400年」 であるが、その前には 「10000年」 続いた縄文時代があり、フラットな自己責任の社会が営まれていたと言われている。 ピラミッド型社会の閉塞状況を打ち破り 「会社の終身雇用」 から 「社会の終身雇用」 へと我が国の雇用システムの大転換を実現するためには縄文時代という 「日本の原点」 に立ち帰らなければならない ・・ との古田社長のメッセージが込められている。
それから20数年が経過した。 想いは今も尚、「縄文への回帰、再び」 である。
2018.07.26
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