Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
Turn

ホロニック(5)〜細部と全体
 宇宙の各所に象出した 「ホロニック」 な 「場面」 のさまざまな素顔を眺めてきたが、これらをひとつの概念に還元すれば 「細部と全体」 ということに尽きよう。 「細部は全体」 であるとともに 「全体は細部」 なのである。 思考を拡大していっても、縮小していってもこの概念は尽きることがない。
 先頃、「この世界の片隅に」 という映画がヒットしたが、あるいはそのヒットを支えたものは映画の題名に織り込まれた 「細部と全体」 というホロニックな潜在意識への 「憧憬」 ではあるまいか。 結局。半径100mの宇宙も、半径100億光年の宇宙も、ともに50歩100歩の宇宙であって差異はないのである。 それに差異を唱えるのは、人間のみに備わった 「無知という叡智」 ゆえに他ならないのである。
 「無用の用」 という諺がある。 それは私が開発したスクエアロボットの 「開発コンセプト」 であったのであるが、この無用の用を欧米人に説明するのには 「ひどく苦労した」 ことを覚えている。 英語的に訳した 「無用なものは有用である」 という東洋的な解釈を彼らは理解しないのである。 「無用なものは無用である」 というわけである。
 だが今だったら 「無用なものなどこの世にはひとつとしてない」 と説明するであろう。 宇宙に存在する何ものも 「消去することはできない」 というのが量子論から導かれた最新の宇宙論である。 もし仮に消去できたとしても、そこに発生する 「真の真空」 によって宇宙は破壊されてしまうのである。 たとえそれが 「米粒ほどの物体」 であってもである。 ささいなひとつの砂粒が大宇宙を存在させているとは驚きであるが、「細部と全体」 のホロニックな 「宇宙内蔵秩序」 からすれば充分に納得できることである。
 畢竟。 この世には無用な人など1人としていないし、無用なものなどひとつとして存在していないのである。

2018.06.12


copyright © Squarenet