Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
Turn

空海と ビックバン宇宙論
 空海が遺した 「太始と太終の闇」 と題された偈(詩文)については本稿で幾度となく論考してきた。 先日。ふいにある着想が宇宙の彼方からやって来た。 その着想が消えないうちに要点と構図のみを述べる。 「太始と太終の闇」は空海の生涯を代表する大作となった「秘密曼荼羅十住心論」をみずからが要約した「秘蔵宝鑰」の序文の最終行に配されている。
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し
 秘蔵宝鑰を書き終えて5年後、空海は62歳で高野山に入定(入滅)している。
 本題は後段2行の 「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥し」 である。 生れ生れ生れ生れて生の始めとは、人が何度も何度も生まれ変わってきた遥かな過去にあった「始発の世界」であろう。 その始発の前にあった世界を空海は「暗い闇」と表現する。 他方。死に死に死に死んで死の終わりとは、何度も何度も生まれ変わっていく遥かな未来にある「終着の世界」であろう。 その終着の後にある世界を空海は「冥い闇」と表現する。
 これらの記述はあたかも現代宇宙物理学が述べる 「ビックバン宇宙論」 の様相を述べているかのようである。 ビックバン宇宙論とは、宇宙が1点の大爆発(ビックバン)から始まり、膨張を続けたあと、やがて収縮に転じて、再び1点への大崩壊(ビッククランチ)で終わるという現在において最も妥当であるとされている宇宙モデルである。
 現代物理学ではビックバン点とビッククランチ点の前後の世界を語ることはできない。 なぜならその点は特異点と呼ばれ、科学理論が破綻してしまうからである。 空海はその世界を「暗い闇」と「冥い闇」という言葉で表現したのである。 ただ「暗い」と「冥い」に書き分けたところに空海の深淵が横たわっている。
 お釈迦様が聞く人の能力に応じて分かりやすい言葉で説いたものが仏教(顕教)であるが、空海が帰依した密教は非人格的な真理そのものである大日如来が究極の教えを説いたものであるとされる。 言うなれば顕教の本尊が「人としてのお釈迦様」であるのに対し、密教の本尊は「人ではない真理」である。 しかしてその真理とは現代理論物理学が追求する真理と等価的同質のものである。 したがって空海の探求がビックバン宇宙論と同じ宇宙構造に想到していたとしても何ら不思議はない。
 空海が活躍したのは今から800年ほども前である。 もし同時代に現代の宇宙物理学者が現れて「ビックバン宇宙論」を空海に論じたとしても、何ら狼狽することなく 「かくあらん」 と即座に了解したであろう。 それはまた戦国の世に天下布武を唱えた織田信長がヨーロッパから渡来した宣教師から「地球儀」を贈られ「世界はこのようなものです」と説明されたときに何らも疑うことなく 「かくあるか」 と答えたことに相通ずる。 自らの思考を展開して考え尽くすことの何たるかがよく顕れている事蹟である。
 空海は自らの入定(入滅)に先だち 「私は兜率天へのぼり 弥勒菩薩の御前に参るであろう そして56億7000万年後 私は必ず弥勒菩薩とともに下生する」 と弟子たちに遺告した。 弥勒菩薩とは、釈迦の弟子で、死後、天上の兜率天に生まれ、釈迦の滅後、56億7000万年後に再び人間世界に下生し、出家修道して悟りを開き、竜華樹の下で三度の説法を行い、釈迦滅後の人々を救うといわれている菩薩である。 空海は若き日より兜率天の弥勒菩薩のもとへ行くことが生涯の目標であったのである。
 太陽系が形成されたのは46億年前であるとされる。 この年数と空海が遺告した下生するまでの56億7000万年の年数の一致は何を語っているのであろう? 弥勒菩薩がいる兜率天がどこにあるのかわからないが、宇宙論における時間は距離でもある。 宇宙の彼方にある銀河までの距離は光年という1年間に光が進む距離を単位にして計測される。 宇宙の膨張速度は光速を上回ると言われているが、仮に宇宙が光の速度で膨張しているとするならば、46億年前に形成された太陽系の位置は、今や46億光年隔たっていることになる。 あるいは空海が遺告した下生する56億7000万年後という時の経過は、世も末となった地球に弥勒菩薩と空海の意識が帰り着くまでの56億7000万光年という 「道のり」 なのかもしれない。
 さらに、地球や大気や人の体はほとんどが「重元素」でつくられている。 軽元素はビックバン初期の宇宙で形成されたものであるのに対し、重元素は銀河における超新星爆発などで形成されたものである。 天文学者マーティン・リースは 「我々は星くず(ずっと昔に死んだ星の灰)である」 と述べている。 そうであれば、宇宙空間に漂っている星くずである人間が56億7000万年後に甦ったからといって驚くにはあたらない。
 かかる理論物理学者としての空海の原点をひもとくと。 高知県室戸岬にある「御厨人窟(みくろど)」という太平洋の荒波を望む洞窟に行き着く。 当時19歳だった空海は「御厨人窟」で「虚空蔵求聞持法」の厳しい行に入る。 虚空蔵菩薩は「智恵」と「記憶」の菩薩であり、虚空蔵求聞持法を修めれば、八万四千あると言われる経典の全てを記憶し智恵を授かれるというものである。 その修法とは真実の言葉(真言)を定まった期間内に百万回唱えるというもので、最低でも1日に1万回という過酷な行である。 その修行の中で空海は虚空蔵菩薩の化身である光り輝く 明星(金星) を口から体内に迎えるという超常現象を経てすべてを悟ったと言われている。
 19歳といえばあらゆる予見が激しく交錯する年齢である。 その中で現代の天才物理学者が時として与えられる卓越した予見に出逢ったとしても何ら不思議ではないであろう。 ただ表現方法が現代科学が多用する「数学的な形式」ではなく、虚空蔵求聞持法に導かれた「直観的な形式」であっただけである。 宇宙の真理にアプローチするにおいて、その手法に優劣の差異はない。 重要なことは得られた真理の 「何たるか」 だけである。
※)空海と宇宙に関しては、宇宙ダイヤグラムとしての 「マンダラ図」 に触れなければならないがPairpole宇宙と両界マンダラをデザインした 「Pairpole意匠」 を参照いただくことで、詳細は後日の機会としここでは割愛する。

2018.04.08


copyright © Squarenet