くだんの青年がその後において密漁をしなかったのは、巡査が自分を人間として信じてくれたがゆえであろうし、青年自身が法律よりも
「人間として生きる道義の重み」 に目覚めたからに他ならない。 もし巡査が法に照らして厳しく処断したとしたら、あるいは青年は反省することもなく
「今度はもっと上手く密漁しよう」 と考えたのではあるまいか? 巡査はその殺伐とした未来よりも、青年の人間としての温かい未来を選択したのである。
その選択に可否を求めることはできない。 だが人間である以上は、そのような選択があっても許されるのではあるまいか?
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