かつて、ぼくは、ピラミッド型組織を横に倒して船のように見立てるのがいいと考えた。てっぺんにえらい人がいるというより、責任を持って船の進路を決める人が前にいる。食事係でじゃがいもの皮をむいている人も動力をコントロールしている人も次の港での交易を計画している人もそれぞれ、互いにいのちを預けあった乗組員だ。この考え方、なにかといろいろおもしろくしてくれる
・・ (中略) ・・ 映画館で考えていたのが、また横に倒すことだった。なにを横に倒してみるのか? 「トーナメント表」である。頂点の1人を、横にしてみたら出発点に思えるだろう。つまり、ひとりの人間がいま生まれた状態。この段階では、まずすべての人が参加している。少し生きると、選択肢2つのどちらかになる。もう少し生きていくと、選択肢4つの1つになる。少し生きることが進行するごとに、8、16、32、と
・・ どんどん生きてきた道筋といる場所は変化する。まったく別の道を歩いてきた人と出合ったり、近い人と、ちょっとしたことで離れることになったり、横に倒したトーナメント表は、無数の運命を、無数の未来を、無数の交流を生み出し、複雑のうねうねと生きもののように成長する。目の前には、意味のわかりにくい選択肢が、次々に現れて、人は次々にどちらかを選び続ける。「そっちを選ぶと、いままで避けてきた方向に導かれてしまうぞ」なんてこともあるだろうし、沈む方へ沈む方へと向かっていた人が、なにかの選択の場面で浮かぶようになることもある。たったひとりの勝者を決めるはずのトーナメント表が、ずいぶんと豊かな「人生表」に見えてくるものだ。これはおもしろいや! 映画の主人公たちの、その都度の選択のドラマが、ぼくに、ちょっと別の考え方を与えてくれた。
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