何もないとする真空に虚のエネルギの胎動を想定したディラックのひらめきは、よく常人がなせるものではなく、同様に未来に向かう実時間の世界に生きながら過去に向かう虚時間を想定したマヨラナのひらめきまたしかり、よく常人がなせるものではない。
ディラックは時間に無関心ではあるが、もともと眺めている空間はハイゼンベルクの不確定性原理で述べるエネルギ保存則が一時的に停止する非常に短い時間
(限りなく 0 に近い時間) の世界である。この空間でこそ量子力学的なゆらぎのおかげで無から無償でエネルギを借りられるかもしれないのである。ゆえにディラックは真空は活動で沸き立っていると予見したのである。
マヨラナが眺めている空間は未来に向かう実時間と過去に向かう虚時間の狭間であり、これまた非常に短い時間 (限りなく 0 に近い時間)
の量子力学的なゆらぎの世界である。
それらの空間は「Pairpole宇宙モデル」で私が描いた時空間を時間軸と垂直に断面したときに現れる時間 0 の刹那宇宙(時空間を時間で微分した世界)の胎動と等価的である。刹那宇宙では無から有への発生と有から無への消滅が間断なく繰り返され有と無が混合したエマルジョンとなりあらゆる可能性が「ゆらぎの状態」にある。
2人が眺めていた空間とは言うなればこの刹那宇宙である。ディラックもマヨラナも私もまた眺めていた世界は同じであったことになる。その空間をディラックは「虚のエネルギで満たされたゆらぎの空間」と認識し、マヨラナは「実時間と虚時間の挾間に生じたゆらぎの空間」と認識し、私は「有と無が混合したあらゆる可能性に明滅するゆらぎの空間」と認識したにすぎない。
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