未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
意識と情意
「意識する」とは宇宙の森羅万象を「言葉に置き換える」ことであり、「情意する」とはそれを「形に置き換える」ことである。
言葉に置きかえるとは、「区別」であり、「選別」であり、「分離」であり、形に置き換えるとは、「統合」であり、「集合」であり、「合体」である。
以上の思考経路はやがて、意識するとは「考える」こと、情意するとは「思う」ことに帰着する。
従って人間が「考える」ことで構築された「文明社会」の「基本的価値観」に「区別」、「選別」、「分離」の思想が内在するのは必然の帰結である。依ってこれらの価値観が行き着く先は「重箱の隅を突くような世界」であり、「総体から部分が分裂していくような世界」であることが予期される。さらに考えることを助長させ、これらの価値観を過度に昂じさせれば、やがては精神障害を発症しかねない危険性さえ予測される。
回避する道は「統合」、「集合」、「合体」を促す「情意への転換」である。それは「言葉」から「形」への移行であり、「考える」から「思う」への移行である。
人間以外の動物はもともと「情意のみ」で生きているように観える。それは形に置き換えることによる「統合」、「集合」、「合体」への思いである。そうであれば、彼らが精神障害に陥る危険性は極めて低いことになる。ノイローゼになっている犬や猫など見たことがないことが、ことの真意を裏打ちしている。だがそうは言っても ・・ 猿ともなれば少々怪しくなってくる。
2017.12.18
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