未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
表現力とは何か〜意識の指紋
絵画の中の言葉に「マチエール」がある。絵の具その他の描画材料のもたらす材質的効果や「絵肌」を指すものであるが、拡大して「筆使い」や「描画タッチ」などの絵画表現上の特徴などをあらわすものとしても使われている。ゴッホの絵にはゴッホ特有の、セザンヌの絵にはセザンヌ特有の、タッチがあらわれていて、その作品をひと目みただけで作者を特定できるような独自性が備わっている。
作品に備わったこのような独自性は絵画表現にかかわらず音楽表現であっても文学表現であっても同じである。桑田佳祐の曲には桑田特有の、井上陽水の曲には陽水特有の、曲調があらわれていて、その曲を聴けばすぐに作者が特定できるような独自性が備わっている。また私立探偵フィリップ・マーロウを生み出したハードボイルド小説の旗手レイモンド・チャンドラーの作品にはチャンドラー特有の作風が備わっている。おそらく道端に落ちていたページの片隅を読んだだけで、その作者がチャンドラーであることはわかるであろう。
最近では人工知能を搭載したロボットが小説を書いたり作曲をするようであるが作品の魅力は単なるストーリーやメロディーだけにあるのではなく作者に備わった特有の独自性にこそ存在するのである。
このような独自性を私は「意識の指紋」と呼んでいる。意識にもまた指紋同様に唯一無二の存在を特定する独自性が備わっているのである。このような意識の指紋がロボットに備わるのかははなはだ疑問である。
先日のこと自転車で日本の津々浦々を訪ねるNHK番組「にっぽん縦断 こころ旅」の火野正平が高橋真梨子の「ごめんね」を唄っているのを聴いた。あのしゃがれ声でぼそぼそと唄っていてけしてうまいとはいいがたいが「なぜかこころに響いてくる」のである。これもまた火野正平が辿った独自の人生遍歴が培った意識の指紋のなせるところなのであろう。
かくこのように表現力とはその作者に備わった唯一無二の独自性(スタイル)をいかに確立するかにかかっているのである。そのスタイルなき作品には魅力がない。それはまた人間そのものにも波及する。スタイルなき人生をおくる人間にもまた魅力はあらわれないのである。現代社会の「つまらなさ」とはあるいはここらあたりにあるのかもしれない。
2017.11.08
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