未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
大いなる救済〜次元の違い
かっていずれの回であったか「身の周りの大変だ大変だは 日本にとってみればそう大変なことではなく 宇宙にとってみればどうでもいいようなことである」と書いた。
第729回では、漱石の小説「三四郎」のくだりから以下のように書いた。
三四郎は青雲の志を抱いて故郷の熊本から東京に向かう。その汽車の中で知り合ったおじさんが「熊本より 東京は広い 東京より 日本は広い 日本より」でちょっと切って、耳を傾けている 三四郎の顔を見て「日本より 頭の中のほうが もっと広いでしょう」と続けた。
第704回では、真言密教を開祖した弘法大師、空海の事蹟を取り上げ以下のように書いた。
空海は入定に先だつ4ヶ月前、11月15日に弟子たちを集め「私が入滅するのは3月21日寅の刻(午前4時ごろ)である。弟子たちよ、悲しんで泣いてはいけない」と宣告した。3月15日には再び弟子たちを集め「私は兜率天へのぼり、弥勒菩薩の御前に参るであろう そして56億7000万年後 私は必ず弥勒菩薩とともに下生する」と遺告した
56億7000万年後では、もはや宇宙の寿命に匹敵する時間である。だが超人空海にしてみれば、かような時間は刹那の夢の間なのかもしれない。
以上の記述が語るところは、ひと言でいえば「次元の違い」である。この次元の違いを理解するものは、おそらく生きとし生けるものの中で、人間のみではあるまいか? それはまた万物の霊長とされる「人間の存在理由」であろうし、それがゆえに「孤高の存在」でもある人間に与えられた、宇宙からの賜、「大いなる救済」なのかもしれない。
2017.06.24
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