「海底劇場」に所属するミュージシャンは森田一人だけだった。足しげく出入りするうち、高橋は、気心の知れるようになった事務所の社長から、森田の前座で歌ってみないかと持ちかけられた。彼女はのどが弱いうえに、持ち歌も短い曲ばかりなので、ステージを30分持たせられないというのだった。かって東京の足立区千住にあった伝説のライブハウス「甚六屋」で最初に共演したとき、30人も入れば身動きできなくなる客席にその倍を超える人数のファンが詰めかけた。ギター1本で弾き語りする森田の吐息を感じられるほど間近に最前列の客の顔があったという。か細い少女の、はかないため息のような歌声を聴き逃すまいとして、客は一人残らず前かがみになり、うつむきながら耳を傾けている。すすり泣くファンもいた。無痛のまま刺さって抜けなくなる、やわらかい針のように、むきだしの心の暗部をやすやすと貫いてしまう歌だった。「あっけなく壊れてしまいそうなバランスでできあがっている童子の音楽は、聴いているうちに手に汗握ってしまう。客も自分の内面世界に入りこみ、歌詞の言葉をひとつひとつ自分の人生に重ね合わせながら聴いていた」と高橋は語る。
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