未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
真田氏館跡にて
上田市街から東北へ車で30分も行くと真田の庄がある真田町に至る。その真田の庄の高台に真田氏が上田城を築城する前に住んでいた真田氏館跡がある。5月中旬から6月上旬にかけて約600株のツツジがこの館跡を真っ赤に染める。訪れたのはツツジ祭りを翌日にひかえた初夏を思わせるような暑い日であった。ツツジといえば灌木が相場であろうがこの地のツツジはヤマツツジと呼ばれる樹木と呼んでもいいような大きなものであって、これほど見事なツツジを見たのは初めてであった。
昨年はNHK大河ドラマ「真田丸」でにぎわった上田市であったがその喧噪もどうやら徐々におさまりつつある。御屋敷公園と呼ばれる真田氏館跡にはその「真田丸」が始まる2年ほど前に訪れていた。あたりは夏の陽を浴び森閑として人影は途絶え、館跡の東側に位置する真田氏に関する資料が陳列された歴史館の館内に見学者の姿はなかった。昨年には真田丸のテレビ放映前日に真田幸隆夫妻とその子、昌幸の墓がある長谷寺と真田氏館跡を眼下に眺める真田氏本城跡を訪れている。(
第980回
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また数年前になるが昌幸の2人の兄、信綱と昌輝の墓がある信綱寺にも訪れている。2人の兄が武田勝頼に従って長篠の戦いに出陣し信長軍の鉄砲でともに戦死したことで三男昌幸が真田家の家督を相続することになったのである。これらの真田氏ゆかりの地を一巡して出発点である真田氏館跡に戻ったことに幾ばくかの感慨を覚えた。
真田氏館跡には昌幸が上田城に移る時に勧進したといわれる皇太神社がある。昌幸、信之、信繁(幸村)父子はこの地をあとにするに際し、いかなることを祈願したのであろうか。その後の波乱万丈を思うと胸にせまるものがある。その思いを知ってか知らずか社殿を囲んで乱れ咲くヤマツツジは紅蓮の炎を発して燃えているかのようであり、それはまた戦国の世を畏怖震撼させた「真田の赤備え」ここにありを天高く誇っているかのようであった。
2017.05.26
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