未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
是非を知る
是非を知る。 事の是非を的確に知ることができれば、もはやその者はこの世を生きるうえでの「達人」である。世の大半はその是非の妥当性を知ることができない。事の軽重の是非である1を1として的確に知ることはそう容易いことではない。1を5と、また1を10と判定してしまう。1を掛け値なしで1と判定できれば実のところ達人なのである。
1を5と評価すればそれは「過大」であり、5を1と評価すればそれは「過小」である。この是非の判定を誤ることでさまざまな問題が発生する。悩むべき1を10と過大に評価すれば、それは杞憂であってノイローゼに陥ってしまうし、10を1と過小に評価すれば、それは慢心であって妄想に陥ってしまう。事の是非を過不足なく知ることこそが万物の霊長と尊称される人間に与えられた天の賜であろう。
だが現代に至ってその賜が賜でなくなってきていることが気がかりである。
信長が本能寺の変で光秀の謀叛を知ったときに言ったとされる「是非もない」とは、事の是非を的確に知ったがゆえの信長の言葉であって、知らなかったわけではない。その点、昨今の政治家は「是々非々で事にあたる」とは言うものの、あまりに事の是非を知らなさすぎるように観えるのはいかがしたのであろうか?
※)是々非々とは
中国の思想家 荀子の言葉。是を是とし、非を非とする事を智とし、是を非とし、非を是とする事を愚とする。良い事は良い、悪い事は悪いと言う姿勢が智である。
2017.05.23
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