1872(明治5)年には人口わずか4500人足らずの平野村(現岡谷市)は、1920(大正9)年には約4万5000人と10倍に膨れ上がり、その大部分が製糸労働者で、それも圧倒的に若い女子(女工)であった。岐阜県飛騨の山村から難路野麦峠を越え、岡谷の製糸工場に就労した女工たちがたどった「過酷な現実」を描いた山本茂実の小説「あゝ野麦峠」は特に有名で、映画化された。明治政府が執った「富国強兵・殖産興業政策」に沸いた当時の岡谷、諏訪の繁栄は、大変なものであったというが、現在では痕跡も残さず喧噪は夢のごとく時空の彼方に消えてしまった。
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